ハイパー雑記帳

気になる情報をオールジャンルで取り上げます。

「冬至の七種」には謎が多すぎる

f:id:jinrago:20191124170739j:plain

 

冬至」(とうじ)とは、1年中でもっとも昼の時間が短い日です。

 

その日を過ぎると、また少しずつ、日が長くなっていき、昼が最も長い日である「夏至」(げし)になり、そこからは再び、冬至へ向かって日は短くなっていきます。

 

こうして1年は、「死」と「再生」を繰り返していると、太古の人は考えました。

 

冬至」は、1年のうちでもっとも「死」に近い日でもあります。

 

夜は「死の国」に続いている「闇」が支配する時空であり、昼の短い「冬至」は、もっとも夜が長い日でもあるからです。

 

死者が棲む闇の国を、古代日本の神話が語られた『古事記』では、「根の国」とも呼んでいますね。

 

原始的な「陰陽思想」や太陽信仰の影響が感じられる考え方ですが、 この「冬至」の日に食べると良いとされて来たのが、「かぼちゃ」を始めとする「冬至の七種」(とうじのななくさ)と呼ばれる、七種類の食べ物です。

 

冬至の七種」が選ばれた理由にも、謎を感じる

 

ちなみに「冬至の七種」とは、次の7種類の食べ物とされています。

 

南瓜(なんきん)・・・「かぼちゃ」のこと

蓮根(れんこん)

人参(にんじん)

銀杏(ぎんなん)

金柑(きんかん)

寒天(かんてん)

饂飩(うんどん)・・・「うどん」のこと

 

春の七草」や「秋の七草」のほかに「冬至の七種」まであるとは、よほど日本人は「七」という数が好きなようです。ものごとを 分類し、記憶する単位としてちょうどいい数なのかもしれません。これが「十」になると、よほど物覚えのいい人でないと、覚えきれないかも?

 

春の七草」は、冬の雪の下から顔を出す元気な畑の野草たちで、実際に摘んで、「七草粥」(ななくさがゆ)にして食べられていました。

 

秋の七草」は、秋の野山に見られる花たちで、これらは観賞用で、食べられません。一番最初に作られたのは「秋の七草」のようです。『万葉集』にも、言及があるようですから。

 

冬至の七種」の由来とは?

冬至の七種」がいつ頃から言われ出したものか、よくはわかりませんが、七種(ななくさ)の一つ「かぼちゃ」が日本に伝来したのが16世紀とされているので、それ以降と考えられ、比較的新しい風習と考えられます。

 

冬至」は、太陽の力がだんだんと衰えて、最も弱まる日でした。当時の人にとって「冬至」は、そこを過ぎれば今度は太陽の力が回復してくる節目の日であり、その日を境に運気が上昇し始める大事な日でした。

 

この考え方は、一陽来復(いちようらいふく)といい、古代に中国から伝わったものです。

 

日本では「冬至」の日に、運気が上昇することを願って「冬至の七種」と呼ばれる食物を「運盛り」と称して供えました。

 

これは、「ん」という言葉が入っている食べ物を食べると運気が上昇するという「縁起担ぎ」でした。「ん」は「運(うん)」に通ずるからだそうです。

 

冬至の七種」は、「ん」が二つ入っている食べ物が集められています。「運」が重なり、「運」が倍になる、縁起の良い食べ物とされています。

 

名前がみんな「4文字」なのは、何か意味があるのでしょうか?

 

それについて触れた解説は、見当たりませんでした。

 

だったら、「ん」が2つ入って、しかも「4文字」の食べ物って、他にもありそうですよね?

 

「きんとん」

「はんぺん」

「ぽんかん」

 

 

など、思い付きましたが、どうかな?

食べると運気があがる?

 

「あんぱん」「かんぱん」「あんまん」「たんめん」「わんたん」「てんどん」

は?

 

でも、こちらは「調理済みのもの」ですが、「冬至の七種」は加工したものもありますが(寒天、うどん)、基本的に「食物名」ですね。「料理名」ではダメなのかもしれません。

 

「ん」は終わりを表すだって? ん? 

 

「ん」=「運」説のほかに、「いろは」47文字の最後が「ん」で終わることから、「ん」は物事の終わりを表し、それが「冬至」に通ずるからという説明も見かけました。

 

一見、らしい説明ではありますが、ただ、それと運気アップとどう結び付くのか? そこがわかりません。

 

「ん」(終わり)を含んだ食物を食べて、「終わり」を「うんこ」にして流してしまおうということなのか?(あっ! なんということを言ってしまったんだろう)

 

「ん」いろは歌の最後に付けられたのは、だいぶ後の時代(たぶん13世紀以降)のことで、最初は「京」の字が最後に付いていました。

 

いろはにほへと ちりぬるを

わかよたれそ つねならむ

うゐのおくやま けふこえて

あさきゆめみし ゑひもせす

 

これは、「ひらがな」に書き直したものですが、この歌はもともと漢字(借字)で書かれていました。

 

以呂波耳本反止 千利奴流乎

和加餘多連曽 津祢那良牟

有為能於久耶万 計不己衣天

阿佐伎喩女美之 恵比毛勢須

 

こんな感じです。

この漢字で書かれた最後に、10世紀頃には「京」という漢字が付いていて、48文字になっていたようです。

それ以前は、47文字だけです。

これが「いろは歌」の原型です。

 

これの「読み下し文」は、次のようになります。

 

色は匂へど 散りぬるを

我が世誰ぞ 常ならむ

有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず

 

かなり仏教思想を感じさせる内容となっていて、真言宗の一派の誰か才能ある人物が作ったのではないか、と考えられています。

 

いろは歌」は手習いの手本として、長く近世まで使われ続けて来たので、人々の近くにあったことは確かです。「冬至の七種」が考えられた頃には、最後に「ん」が付いていたと思われます。

 

なにがしかの影響があったとしてもおかしくはありませんが、「いろは歌」の「ん」と「冬至の七種」との関係を、詳しく説明しているものには出会えませんでした。

 

ん? と思ったので、調べてみた結果でした。

©2019 ハイパー雑記帳 All Rights Reserved.
プライバシーポリシー お問い合わせ