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「ひっつみの日」は、歴史を思いながら、ひっつみを食べたい! 

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美味しそう!

南部鉄器の鉄鍋に、にんじん、ねぎ、ごぼう、生しいたけ、まいたけ、そして、ぷりぷりの鶏肉とひっつみが入っています!

 

美味しそうなパッケージ写真の誘惑に負けて、「南部ひっつみ」を買って来てしまいました。

 

ひっつみはご存じですか?

 

「ひっつみ」は、岩手県北部を中心に、青森県南部から岩手県一円で食べられている伝統的な郷土の家庭料理です。

小麦粉を練って薄くのばしたものを、手でちぎって鍋に入れ、野菜やきのこや鶏肉と一緒に煮て作ります。

 

岩手県南部から宮城県北部にかけても食べられていますが、この地域では「ひっつみ」ではなく「はっと」と呼ばれる場合が多いようです。内容的には、区別のつけようがないほど、ほぼ同じものと言っていいです。

それについては、後ほど語ろうと思っています。

 

「ひっつみの日」があるのを知ってる?

 

そうなんです! はっとうの日はないけど、12月3日は「ひっつみの日」に制定されています!

 

ひっつみの美味しさを全国的に知ってもらおうと、岩手県生めん協同組合がひっつみの日を定めました。

12月3日の1,2.3を「ひい、ふう、みい」とも読むことから、2を「ツー」と読み替えて、「ひっつみ」と語呂合わせしたものです。

 

「ひっつみ」という名は、「引きちぎる」ことを、地元では「引っ摘む」というところから来ています。地域によって、「とってなげ」「はっと」などというところもあります。

 

だいたい「ひっつみ」は旧南部藩、「はっと」は旧伊達藩だった地域での呼び名になっているようです。

 

ひっつみの基本は、しょうゆベースの汁に、ひっつみとお好みの野菜、肉、きのこなどを入れるのが一般的ですが、山間部と海浜部とでは入れるものが違う上に、各家庭ごとに独自のレシピを持っています。

 

そもそもは、我が家の家庭の味であり、おふくろの味でした。いまでは、岩手県内のほうぼうの店で、観光客のためにメニューに載せているところが増えているので、本場の味を楽しむことができます。

 

「ひっつみ」が生まれた風土と歴史

 

雪国である東北では、気候の寒冷さのゆえに、稲が満足に育たず、米の生産量が少なかった時代が、昭和の初期ぐらいまで続きました。そのころは、農民であっても米をろくに食べることができず、蕎麦や粟や稗などの雑穀を食べることでしのいでいました。

 

小麦を粉にしたものを練って、出汁に入れて食べるという調理法は、そんな時代に生み出されたものです。当時は、出汁に味噌や醤油を入れただけで、野菜もろくに入っていないものを食べていたようですが、東北が豊かになるのにともなって、具材も豊富になり、出汁の取り方も工夫されて、現在のような美味しい「ひっつみ」になりました。

 

山間部では、渓流で採れる岩魚の干物でだしを取ることが多かったようですが、次第に鰹だしへと変化してきました。さらに、鶏肉が加えられるようにもなりました。

海浜部では、魚介類を入れることが多かったようです。

 

いまでは、具に「カニ」が入ったり、「雉」で出汁を取ったものをつかったりと、かなりグルメ化して来ています!

 

私は、宮城県北部に在住してますが、「ひっつみ」と全く同じものを「はっと」と呼んで、子供のころから食べてきました。醤油ベースの鶏肉出汁に、野菜やキノコがたっぷり入ったものを、お袋がきょうはご飯が足りないからと言って、夕食として食べたものです。

 

醤油汁のコクが絶妙で、「はっと」のきゅるんとした噛みごたえが忘られません。冬の寒い時期に、ほっこりと体も心も温めてくれる、熱々のごちそうでした。

 

 「ひっつみ」と「はっと」の違いとは?

 

 旧伊達藩が治めた地域では、旧南部藩が治めた地域で言う「ひっつみ」を、「はっと」と呼ぶということを述べてきました。

 

なぜ、旧伊達藩の地域では「はっと」と呼ばれるのでしょう? それは、伊達藩にまつわる歴史的な事件が元になっています。

 

藩政時代の伊達藩は、新田開発に力を入れ、年貢を取り立てた後に残った米も百姓から買い上げ、江戸へと輸送して売っていました。伊達藩のコメは「本石米」と呼ばれ、江戸の米相場の基準となっていたほどでした。伊達六十二万石は、実質百万石といわれるほど、経済成長を遂げていました。

 

その一方で百姓は、「百姓食物常々雑穀ヲ用食之事」(百姓は米を食わず雑穀を食うべし)という「百姓法度」(ひゃくしょうはっと)が定められ、米を満足に食うことができない状態でした。

 

米を食えない百姓は、米の代用食として、くず米と大麦を混ぜて炊いた「麦飯」や、小麦を粉にして練ったものを茹でた「はっと」を食べていました。

 

この「はっと」を、百姓たちは長い年月をかけて、少しづつ美味しいご馳走になるよう工夫していきました。

 

当時、登米地方を治めていた領主がこれを知って、このままでは百姓たちが小麦ばかり作って、米をまじめに作らなくなることを恐れ、この料理を食べることをご法度(はっと)にしました。つまり、禁止したわけです!

 

それ以来、百姓たちは、この小麦粉を練って作った料理を「はっと」と呼ぶようになりました。

 

これが、旧伊達藩地域で、旧南部藩が治めた地域で言う「ひっつみ」を、「はっと」と呼んだ謂われとされています。

 

参考:「登米はっと」の由来 - 宮城県公式ウェブサイト 

 

 

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